watako 日常と手しごと

手編みやお裁縫などの手芸、子どもについての記録

父の病気②

こんにちは。

 

 

父の病気についての続きです。

耳下腺癌と診断された父のしこりですが、とても珍しいらしく、一説では50万人に2人程度の割合だとか。。 

 

耳下腺に腫瘍ができることはあれど、良性の腫瘍が多いみたいで、ネットで体験談やブログなどを検索しても、確かに耳下腺腫瘍というのが多く耳下腺癌の情報は少ないように感じました。

良性の耳下腺腫瘍も、大変な病気で、やはり腫瘍は腫瘍。切除の手術に顔面麻痺のリスクは同じなので、耳下腺腫瘍の方の発信する情報には大変お世話になりました。

 

どういった手術になるのか、術後の経過、治療はどんな感じなのか、麻痺やリハビリについて、術後の食事など参考にさせていただきました。

 

 

そして、手術。

当日は、私は風邪を引いてしまい…、今から手術を受けるという父に何か菌を移してもいけないので、直接見送ることも術後側にいることもできませんでした。

 

翌日も、術後はしんどいだろうし、娘を連れて行くと迷惑かもしれないので、二日後の娘が保育園に行っている日にお見舞いにいきました。

保育園に送った帰りに、母を拾って病院へ向かう途中、手術のことを聞きました。

 

電話では詳しく聞いていませんでしたが、腫瘍が思ったよりも広く深かったそうで、切り取らなければならない神経の距離が長く、他の神経を移植することが出来なかったとのこと。

つまり、顔面神経が途切れた状態で、左顔の顔面麻痺が残ると。神経がないので、リハビリは(あまり?)意味がないということ。

奥の神経を取ろうとすると骨に到達してしまうので、全ては切除できなかったこと。

腫瘍が残っているので、今後は放射線治療をしていくこと。を聞きました。

 

 

本人は、大層ショックを受けているかと思いきや、会ってみると、意外に飄々としていて、母も明るく、そんな2人にこちらが元気をもらいました。

 

娘の反応はどうだろうかと、少し心配しましたが、後日お見舞いに連れて行くと、何も変わらず、以前同様にじいちゃん大好きで、ホッとしました。

 

 

手術入院は、当初1〜1ヶ月半位と聞いていましたが、何がどうなったのか、10日程度で済み、とりあえずは、日常に戻りました。

 

入院中は、お粥や具のないすまし汁→少しずつ固形物になってはいましたが、やはり満足な食事とは言えない様子でした。

糖尿病の気もあるので、尚更粗食だったのかもしれません。

 

食べにくくても、自分で選んで食べられるようになり、早めの退院で何よりでした。

 

見ていると、汁物やつくねやハンバーグなどのひき肉料理、ドリアなどが食べやすそうでした。

 

 

不便なのは、左目がちゃんと閉じられないので、目が乾いて目薬が手放せないのと、運転がしづらいのと、食事が食べづらいこと、話しづらいことだそう。

 

 話し方については、聞く側としては、特に聞きづらいわけではなく、そのことを伝えると、少しホッとした様子でした。

 

目に関しては、乾燥を防ぐ為、今は貼る眼帯をしていることが多いです。

(普通の眼帯は耳に違和感があるようでダメでした)

 

入院中は、飄々としていた父ですが、退院後は家族の前では、気弱な部分も見え隠れする場面も。

 

客観的に見て、やはり左顔面は垂れて、人目を気にしてしまうだろうなと思います。

孫に対して、「じいちゃんゾンビになっちゃった」と自虐ネタを披露していますが、本音を想うと、やはり辛いと思います。

 

 

 

気持ちが沈んでも、元気に笑える瞬間が沢山ありますように。

それには、やはり母の力が偉大。

2人を見ていると、支え合うということは、きっとこういうことなのだと感じます。

 

 

長くなりました。

次回に続きます。

 

 

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